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10数年前に謎?の澤季里氏より、寄稿いただいた名刺のエッセーです。長らく「デジタル名刺宅配便」のホームページに掲載させていただいておりましたが、当方の仕事が「名刺用紙販売所」に重点を移したこともあり、この名刺エッセー「太郎のだろう」も、こちらに引越しさせていただきましした。

20世紀の最後のころの世界の名刺事情、モチロン、21世紀の現在では事情も異なると思いますが、当時、サンノゼ在住の澤 季里氏(Kisato Sawa)の、この原稿は、当時の世界の名刺事情を伝える資料として、今後より価値のあるものになっていくかも知れません。

それでは、どうぞお楽しみください。

名刺サイズ(大きさ・寸法)一覧  

名刺博物館・特別寄稿エッセー 太郎のだろう:その1

軒下の印刷屋

雨が降っていたらしく、窪みには水溜まりがある。九龍で地下鉄に乗る時は晴れていたのにいつの間に雨が降ったのだろうか。 地下鉄を出てバスに乗る。2階の窓から飛び移れるほど、香港のバスは接近して停車する。そこの路地から少し入った所に、香港島の名刺印刷街があった。名刺印刷専門、各種グリーティングカードや案内状の印刷の店が点在する。 雑多なビルの間に八百屋の露店もずらりとある。足元を気を付けないと野菜くずや水溜まりで滑ってしまう。

思わず魚屋と思って通り過ぎてしまった所が、目指す名刺用品専門店であった。用紙やインク缶がが雑然と置いてあり、一部インクが道路に流れ出している為、魚屋に見えたのであろう。名刺用紙を陳列したショーケースも八百屋の冷蔵庫に見えてしまう。小さな印刷会社やショップはここから材料を仕入れ、名刺として販売している。食材も仕事の材料も同じ様な場所から供給されている所がおもしろい。

その名刺魚店の向かいがビルの壁であるが、斜めに走る鉄骨製の階段の下に印刷露天商がある。灼熱と風雨に耐えた印刷機が堂々と階段の下に設置され、下町のリズムを刻んでいる。さっきの雨の時はどうしたんだろうと気になったが、何しろ相手は半世紀も前から鎮座しておる様に見え、余計な心配であったと悟った。

さて、中国語では名刺は名片と書く。名刺の起源はどこにあるのであろうか。 中国での名刺の始まりは、三国志の時代に溯ると言われている。使者が相手の城に入る場合に、丁度手の平に入る大きさの板に、氏名や所属などを書いて渡したのである。これを謁と言っている。個人の帰属を明確にし、可搬性がある今日の名刺と機能は全く同じである。

日本でも受付嬢に名刺を渡し、かくかくしかじかですが社長にお会いできませんか、といった使い方と同様である。受付嬢とだけ名刺交換して帰って来てはいけない。

名刺の作り方や使い方は国によってかなり異なる。各国の歴史の中で、その国の文化として微妙に変化して定着した。日本ではどうして名刺というのであろうか。謎は深まる。

澤季里 Kisato Sawa



名刺博物館・特別寄稿エッセー 太郎のだろう:その2

フリーウエイ

サニーカリフォルニアはどこにいったの。どうして今日も雨なの。現地の人から言われても私は答えられない。まるで私が雨男の様な問いである。俺は日本から雨を運んで来た犯人ではないのだ。

サンノゼは100年ぶりの異常降雨である。年が明けてから、150日余りになるが、120日近くも雨天である。もともと雨季は冬の12月から2月であるが、やはり今年は異常に雨が続いている。誰となく、何で、と聞きたくなる訳も解る。とりあえずAPPLEの人と会ったら、「シアトルからMSが雨を伴って攻めて来ているんだ」とか、「この平地と山を見よ、もともと大洪水などの侵食でここの地形は出来ているんだ」とか言うことにしている。たかだか数十年の変化で気象の異常を議論するのは、人間の身勝手と言うものである。

やはり傘を買おうかなと思うが、これから晴れるからと言う言葉に我慢を重ねる。もっとも店に傘を見かけない。雨でも、じめじめした感じは全くなく、風呂場のタオルも1日で乾いてしまう。晴れて乾燥していれば、性格も明るくなり、事業のストレスも消え失せ、起業家も育とうというものである。

ここアメリカでも名刺は大いに活用されている。ビジネスマンはほとんど持っている。一方、直接ビジネスに関係ない医者や大学教授などは名刺を所有していない。つまり、名刺は権威付けの意味はなく、情報ツールである訳である。名刺は、一般には千枚単位で印刷し、千枚の消費を焦っているように、気前良くばらまく。千枚もあると、使いきれない。あまったらどうする。地球環境はどうなる!と運動したくなる。アメリカのビジネスの仕組みとして、電話は個人に1台であり多少レイアウトが変わっても番号は変わらない。また、名刺に記述されている職場名もほとんど変わることがない。日本の様に第三営業部第二販売課課長などとは記述しない。「Sales Manager」としか肩書きを印刷しないのである。従って万年課長は万年使えるのである。

名刺の交換の仕方は日本と大いに違う。まずは力強く握手するのが基本である。大人数でテーブルについた後、名刺交換を忘れていた時などは、トランプの様にカードが飛び交う。まさに道路のフリーウエーの様に高速に名刺交換がなされる。

今、アメリカでもっとも売れている電子手帳はパームパイロットであるが、先日新しいパーム3なるのが発売された。これは名刺交換も出来ると言っている。出会った時、テレビのリモコンの様に向き合わせ、ピピピと名刺に書かれているようなデータを、交換するするらしい。

フリーウエー型高速名刺交換から、ピピピのデータ交換へ、そしていずれは握手しただけで名刺が交換出来るようになってしまうのであろうか。御札を授かる時の様な、あの日本の儀式はどうなるのであろうか。

澤季里 Kisato Sawa



名刺博物館・特別寄稿エッセー 太郎のだろう:その3

空港の匂い

北の方からは着陸出来ない。大きく回って金浦国際空港に着いた。入国審査で列を作っていると、やはりキムチの匂いがした。更に生のにんにくも合わせた様な、独特な香りである。

各国の空港は各国の匂いがすると言う。ちなみに、成田空港は未だ表現に悩んでいるが、あえてまとめると麹の匂いであろうか。いろんなカビや味噌汁、そして酒が混じった香りである。その匂いはレストラン、お土産品店、衣類や吐息から発せられているのだろう。その渦中にいると感じなく、しばらく離れると感じる。この様に、一歩離れてみると普段気がつかないモノが見えてくるものである。

韓国の名刺の使い方は多様だ。一般の店では、箱の中に店員の名刺を山ほど積み上げ、どうぞお持ち下さい、である。コーリングカードと言った分類に属すると思うがあまりあとで電話することも無いようなので、ショップカードと言った方が良い。

若い女性は可愛い名刺カードを持っている。数年前日本でも女子高生の3種の神器(こんな言い方は正しくないが)の一つに名刺が有った。つまり、コミュニケーションツールである。このころの年頃は、仲間意識の保持の為、流行の「なにか」を持ちたがる。最近はポケベルやらPHSやらを経て、プリクラであろうか。韓国ではファッション名刺と称して、コンビニなどで販売されている。

勿論、ビジネスでの名刺の使い方は日本と全く同じである。大手企業では、入社した社員の名刺を作る。ブルーカラーの人の名刺も作るらしい。社員は名刺を親戚に見せたりもする。つまり、社会人のIDみたいなものである訳である。実は私も初めての名刺を両親に見せた記憶があるのだ。声をかけた女の子から名刺を貰う時、「お父さんが作ってくれたのよ」なんて言われたら先に進まなかった、なんて話しはIDの守護神のことか。

当然、文字はハングル文字である。しかし、普段漢字は使わない人も、名刺には漢字を併記する。場合によっては英語も併記する。しかも、レイアウトはホワイトスペースも十分とってスッキリしたい。作る人は大変だろう。

さて、沢山の名刺を集めて気がついた。重ねて見ると大きさがバラバラなのである。3ミリぐらい違う。そこで、日本人から貰った名刺数百毎と勝負(比較のこと)してみた。やはり・・。日本の名刺は、どこから入手しようが、誰が印刷しようが、いつ貰おうが大きさが同じである。1ミリ以内には収まっているのである。おおっと、深呼吸してしまった。紙が違うのである。

恐るべき日本の印刷業。こだわりの用紙メーカー。キムチたっぷりのチゲ鍋の前で、うなる程凄さを感じた。

澤季里 Kisato Sawa



名刺博物館・特別寄稿エッセー 太郎のだろう:その4

名 刺 バ ト ラ ー

朝早いフライトの為、昨夜の会合は遠慮したのに・・・。

もう既にサンフランシスコ空港に15時間もいてしまった。朝一のニューヨーク行きのDC-10型機が、乗客を満席に乗せて全く動かないのである。朝7時過ぎには乗り込んで、ビジネスクラスにクラスアップをし(単に席が無かっただけの話)、スチュワーデスも久しぶりに綺麗。来週のニューヨークでの運勢はツキだ・・・。と思ったのはちょっとだけで、今か今かと待って、とうとう機体の故障で欠航と決まった時は12時近かった。その後のNY行きはすべて無く、予約出来たのは夜10時発のレッドアイ便(夜行)である。

前にもこんな事があった気がする。北京から南京に向かったエアロフロート機である。朝6時に乗り込み、飛び立ったのは午後5時だ。その時は、11月中旬なのに急に雪が降った。搭乗予定の旧式の旧ソビエト機を見て、すでに冗談で今日中に飛ぶなら良いかな、と言ったことが当たったのである。

さて、名刺の話はニューヨークにたどり着かない。中国の名刺の旅を思い出すのである。そう言えば、ここ半年以上、食い物は中華か日本食だ。日本にいた時は珠にハンバーグやらを食していたのにほとんど食べない。美味くないのである。十数年前海外に初めて行った時、とにかくステーキにあれほどあこがれた、あれは何だったんだろうか。

北京の街角は屋台が多い。屋台の間に名片と書いた名刺印刷店がかなり目に付く。名刺は産業自由化のツールとも言えるのであろうか。名刺や周辺は活気があるように思える。印刷は活版が主流である。マークのたぐいはあんまり印刷しないが、箔押しやエンボスで表現している。コンピュータ関連などのハイテク企業は、特色のロゴを印刷している企業が多い。1枚毎に色が違ったり、かすれたりで何とも品位に欠けるが、使う時は色付きを自慢するするかの様に堂々としたものである。

パーティーで名刺を沢山並べて、がやがやしていた。どの会社、官庁の肩書きが一番強いか競っているのである。中国では名刺に肩書きをいろいろ入れる。入れておかないと他の人に分かってもらえないらしい。大学教授から、地元の野球チームの事まで入れてある。以前もらった名刺を使い、セーノで名刺を出す。勝った方にまた対戦者が出すのである。まさに名刺バトラーである。官と民どっちが強いか見ものだ。

中国は官民一体になり一気に民主化してきた。文化大革命で大学が閉鎖になり、その後再開された一期生軍団が、官と民を横串し、オレお前でツーカーとモノや情報の横流しをしたのである。明治維新の時は鎖国でタメ(溜め)て薩長がツーカーで官民を動かし、中国では文革でタメその後の同期生軍団がツーカーだったのである。強さはそのタメと言うスプリングボードにある。苦難のタメがその後の力になるのである。今の日本でも不景気で、何か力がタマっているのであろうか。

機内にて  澤季里 Kisato Sawa



名刺博物館・特別寄稿エッセー 太郎のだろう:その5

夜更けのセントラルパーク

サンフランシスコ空港に15時間もいた関係で、ホテルにチェックインしたのは、朝8時近かった。やれやれと自宅に電話すると、日本では今からサッカーのアルゼンチン戦が始まるとのこと。

そっちは何時から?と女房のトボケタ質問。日本の夜9時はニューヨークでは朝8時・・と言う訳で、テレビを付けて観戦。が、前半の途中から部屋のコンセント部分のみ停電。じっと眠さを堪えて、復帰を待った。テレビの付けすぎ為の電力オーバーか。

勿論電力オーバーの問題ではない。日本では60%を越える視聴率でも、アメリカでは、米国の試合でも4%程度なのである。ニューヨークで朝8時でも、西海岸では5時であり、このくらい早朝では視聴率低下も仕方がないであろう。

さて、ニューヨークの街はきれいになった。公園でもゴミはほとんど落ちていない。かなり前から、警察官を多量配備し、夜間の清掃を徹底強化し、治安と美化の向上を推進したのである。アメリカの街を旅行する度、パソコンゲームのシムシティーを思い出す。道路などの街を作り、行政し人口を増やすのである。施策を講じた結果、ニューヨークは住みやすい街になった。

夜の8時頃から始まる、野外ステージを見に行った。終わったのは10時を回っていた。いくら少し治安が良いといっても、一人で帰るのは心細い。大勢の集団にまぎれて会場を出た。ところが、いつのまにかどんどん減って10人ぐらいのグループになって、回りを見ると女性だけ。単に足の遅い集団になったのである。ここぞ、日本男児はいざという時の為の覚悟を決めたのであった。

今度、シムシティー3000が出来るらしい。そこのシム人達は名刺交換するのであろうか。そんな事を考えながら歩き、やっとホテルについた。

ニューヨークにて  澤季里 Kisato Sawa



名刺博物館・特別寄稿エッセー 太郎のだろう:その6

雲の間

あー雲だ。真綿をちぎってほうり投げたような雲達である。羊達が草をついばんでいる様な長閑さでもある。 実は、ここ1ヶ月ぐらいサンノゼで雲を見ていなかったのである。ステチィングが一つない、しみもない、グラディーションもほとんどない、シアン100%の空なのである。日本の梅雨時の読者の皆様には申し訳ない。

カーっと暑いと、ビールがウマイ。梅雨の半ばの暑さでクーラーが売れ、ビールが売れているらしい。この暑さで少し日本の景気が良くなったと新聞で読んだ。

ビールを飲むということは、明らかに消費活動である。ビンから川に、上から下に冷水を移動すると景気は良くなるであろうか。飲んでいる当人の費用はどこから補填され、景気が循環するのか気になるところである。

景気の変化の影響は、数年の経過で現われる。バブルの影響で今年ワイドショーの司会など幅広く活動されていた岸部四郎氏が、自己破産し番組をおりた。その手記を文芸春秋誌にて読んだ。実は彼は昔、名刺の印刷をしていたらしい。破産後は名刺の印刷でもやって行こうかと書いて有ったが、是非歓迎したいものだ。明るい名刺をどんどん使い、景気の向上を図って欲しい。

今の日本は、不景気風が吹くが、街を見る限りはどこにもその雰囲気を感じない。中国から日本に旅行で来て、「一体どこが不景気か」と言っていた友人を思い出した。つまり今の状態は期待成長率の低下から来ているのであり、心底困っているところまで行っていない。先々不安だらか使わないでおこう。といった感じである。

さて、アメリカが景気が良いのはどうして。と良く聞かれる。このところ、それは「新大陸が発見されたからである」と口火をきることにしている。みんな、新大陸を目指し、その結果、期待成長率がどんどん上がったのである。

「新大陸」とはIT(Information Technology )市場である。情報通信やインターネット関連市場に投資と消費が殺到している。幸い、この新大陸には世界中のどこからでも上陸できる。自らの不安を蹴って、チャレンジすることによって善の循環がやって来るのである。通信回線の低価格化など競争と施策で良くなることがいっぱい有る筈である。

デンバー空港にて  澤季里 Kisato Sawa



名刺博物館・特別寄稿エッセー 太郎のだろう:その7

水 清 ら か

森林の中の有料道路で、この道路を通たんだろうな、と思ったら急に胸が熱くなってきた。彼らと同じ景色を見ているのである。

フロリダのオーランドからケープカナベラルのNASAに向かう道路である。宇宙飛行士の家族や関係者が通ったであろう道路で、ふと思った。むろん、ここの発射基地に来るにはヒューストンやエイムズ宇宙センタから直接空路で来る方法もある。

フロリダ半島は大いなる湿原地帯である。上空から見ると、まるで骨粗鬆症の顕微鏡写真である。30分ぐらい飛んでも続く湿原の広さである。道路は湖沼の間を縫い、空港の滑走路の舗装のすぐ横にも沼がある。慣れないパイロットは池ポシャかと心配したくなる。

スペースシャトルで周回し、地球に戻る時砂漠では様にならない。宇宙から見た地球は、綿あめの様な雲が流れ輝く水の惑星なのである。(むろん直接見た訳でない、IMAXシアターのお陰か)家族や過去の歩みそして未来を考え、胸を熱くして帰還する地は、水清らかな暖かい所が良いのである。

さて、今では当然の様に垂直に発射されるロケットも、最初は飛行機の様に水平に飛行する実験をし、速度と高度を増し垂直に至ったのである。垂直発射も失敗の連続でソ連の成功に苦汁をなめていた。 その時、ケネディーは「人類を月に送る」と言ってすべてを結束させ、目標達成させたのである。

いろいろ懸念事項があっても、結束させ成功させるのが良き指導者である。景気浮上はまだ1年半以上かかるなんて言ってもどうにもならない。期待がないから財布の紐を締めるのである。

まあ、どこに行っても水清らかな国、きれいな温泉の国日本なら多少景気が悪くても豊かなのかも知れないが。 誰か、清らかな水を連想させる名刺の作成にもチャレンジして欲しいものである。

フロリダ州オーランドにて  澤季里 Kisato Sawa



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伊藤 弘


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